「経営者の勇気について」

今月は「経営者の勇気」についてコメントしてみたいと思います。

「勇気は経営者の必須条件である」と言ってこれに反対する人はいないでしょう。社員が困難と感じている時に、自らが率先垂範を見せるのは勇気です。誰もが気づいていながら、誰もが言いださない会社の悪弊を指摘してきた社員の諫言を受け止めるのも勇気でしょう。

勇気は思い立ち行動したときに現れるものですが、その勇気にも幾通りかの発揮の違いがあるようです。

第一は「克己の勇」です。

「勝ち難きは己私(きし)に如くは莫し」(自分の心に打ち勝つことがもっとも難しい)という言葉があります。これに似た格言として、知行合一(ちこうごういつ:知っていて行わないことは、知らないことと同じである)があります。
これを唱えた明の王陽明も「山中の賊は破るは易く、心中の賊は破るは難し」という言葉を残しています。

人間社会には到る所に競争があります。しかし相手との戦いと見える事象は、本当は自分自身との戦いであるということ、「自分に打ち勝つ勇気が経営者の勇である」ということを、克己の勇は教えています。

第二に「過ちを改める勇」があります。

権限や体面を保つために、自分の誤りを改めようとしないことは愚かです。それは“威”“信”“財”を失い、小器(小人物)の陰口を得る行いです。
自己反省ができないことに対する格言は多く「過ちて改めざる、是れを過ちと謂う」(論語)や「過ちて能く改むるは、民の上たり」(過ちを犯して、これを改めることができる人間は、よく民を治めることができる)などがあります。

反省とは自己革新のことであり、自己革新とは、古い自分、過てる自分を自己否定することにあります。
この自己革新は、ドラッカーの言うイノベーション(体系的廃棄)に他なりません。自らの過ちすら改められない経営者には、会社のイノベーションは到底できないと言えます。

第三に「撤退の勇」があります。

経営者は“敗れる”“倒れる”“逃げる”“損する”“撤退する”など、自らの名誉にかかわる文句を嫌います。しかし一度も失敗をせずに大事を遂げた者はいません。
あの徳川家康は「逃げの家康、天下取る」と言われたほど、破れては逃げる経験をしています。一時の敗退を嫌って撤退の勇を欠いた経営者は、最後の勝利を得ることはできません。

撤退の勇がある経営者は、捲土重来(一度敗れて、再び勢いをもり返すこと)の勇もある、真の勇者ということになります。

撤退の勇にともなう「判断・決断・即断行の三断」を実行できない理由は、第一に「自己過信」、第二に「体面、意地にとらわれること」、第三「目先の小さな損にとらわれること」、第四は「安易な考え」です。第四は「そこまでしなくても、なんとかなるだろう」という類の、経営者の根拠のない楽観主義や、責任感のない姿を表しています。

危機管理の鉄則はつねに「悲観的に準備して、楽観的に対処せよ」が正しいのです。

第四は「新天地開拓の勇」です。

経営者の責務は「災いを未萌(みぼう)のうちに除き、勝を百年の遠きに決すること」です。
これは、将来、会社の災いになるようなものがあるならば、まだ芽の出ないうちに取り除き、百年後も安泰成長をとげるような経営基盤を築くことに日々心を砕く、という意味です。

前提として、何が災いで、何が新天地を拓くものなのかを見極める深い人間洞察と見識が求められます。これが企業文化(思想、カルチャー)となって現れます。

カルチャーとは「田畑の土壌」です。「その組織の土壌ではどのような種(考え方)がよく育つのか」、そしてその組織で育った「果実」を見れば、もととなるカルチャーが一体何であったのかがわかります。

もし、いまある果実が自らの望むものでないのなら、もととなる土壌、土壌をつくる経営者の持つ思想を点検し、間違いがあれば改めることが大事です。果実という結果だけが素晴らしいということは原因結果の法則から考えてもあり得ないことなのです。

第五は「匹夫の勇」です。

孫子の兵法は彼我の兵力分析をしたうえで「勝つ見込みがないならば戦わない」と教えています。勝ち目のない戦いでは、たとえ臆病のそしりを受けても部下を犬死させずに撤退を決断するのが真の勇気です。

これに対して匹夫の勇は、外見を飾ったり威勢を示すような形で現れます。
そして「匹夫辱めらるれば剣を抜きて起ち、身を挺して闘う、此れ勇と為すに足らざるなり」と言われるように、凡人が辱められて勇を奮う姿は、カマキリが足をあげている程度にしか見えず、真の勇と言えるものではありません。

大胆な提言や威勢の良い発言をして、いかにも勇気があるように見せる経営者がいますが、これらはチャンス到来を耐えて待つ経営者の勇気にはとうてい及びません。

匹夫の勇は「私心」であり、真の勇は「公心」をそのもとにします。「義」を先にした勇、会社のために行う勇気が真の勇で、自分の利だけにする勇は匹夫の勇と言えます。

経営者が勇を行えず、優柔不断になると「会して議せず、議して決せず、決して行なわず、行って責任を取らず」となり、その会社は余命いくばくもなしということになります。

事が大きくなればなるほど判断は苦しく決断しかねるものですが、過つことなく大局的な判断をするためには「自分を捨てる覚悟」を持つことが肝要です。経営者の小さなプライドを捨てる覚悟、「無私」なる境地を学ばなければ大事は成せないと言えます。

勇についていろいろ書き綴ってきましたが、筆者は、経営者にとっての勇とは「画竜点睛に欠く」(がりょうてんせいにかく)という言葉にヒントがあるように思います。

中国南北朝時代、南朝の梁の国に、張僧繇(ちょうそうよう)という絵の大家がいました。彼が金陵の安楽寺の壁に二匹の竜を描いて、一つの竜に最後に睛(ひとみ)を書き入れたところ、その竜は黒雲を巻きおこし、天上に昇ってしまったが、睛を入れなかったほうの竜はそのまま残っていたという伝説があります。

これは「仏つくって魂入れず」と一緒で、組織や計画、社員への指示にも「竜の睛」を入れなければ、その組織も計画も生き生きと動き出すことはなく、会社の真なる飛躍もないことを教えているようです。

竜の顎(あご)の下に鱗(うろこ)があり、これを「逆鱗」(げきりん)と言います。これにふれない限り竜にかみつかれることはないそうですから、筆者も勇気を持って竜に睛を入れ、理想の会社を目指してゆきたいと思います。

(出典:人の用い方 井原隆一)

(紺)