「人材登用の鉄則」

今日は中国の故事から「人材登用の鉄則」についてコメントしてみたいと思います。

中国の史書に「戦国策(せんごくさく)」というものがあります。主として戦国時代の説客たちの権謀術策を集めたものです。
「鶏口(けいこう)となるも牛後(ぎゅうご)となるなかれ」といって六カ国の合従(がっしょう)に成功した蘇秦(そしん)、
その合従を破った張儀(ちょうぎ)など、当時の優れた策士の物語などが記されています。
その中に斉(せい)の宣王(せんおう)と、説客の王斗(おうと)との有名なやりとりがありますのでご紹介します。

案内され奥に入った王斗に、王が
「私は先君の宗廟(そうびょう)を守り、一国の政治をあずかっている。先生は誰に対しても直言する方とうかがっておりますが」
と話しかけた。

王斗はそれに対し、
「とんでもない。なにしろ乱世に生まれ、ろくでもない君主に仕えるのです。うかつに直言するなど、とてもできることではありません」

これを聞いて王の顔はありありと不機嫌になったが、王斗はおかまいなしに続けた。

「ご先祖の名君、桓公(かんこう)には好きなものが五つありました。それによって桓公は諸侯に号令し、覇者となった。
いま、あなたが好むものは四つあるようです」

「いや、私は斉の国威の失墜することだけを恐れている。とても四つなどおよびもつかないことだ」

「いやいや桓公は馬を好んだ、犬も好んだ。あなたも馬、犬ともに好き。また桓公は酒を好み、女を好んだが、
あなたも両方とも好き。ただ、桓公は人材を好んだが、あなたは人材だけは好まない」

「いまの時代に人材はいない。好もうにも好めないではないか」

これに対し王斗はこう言った。

「いまの世に麒麟(名馬)はいなくとも、あなたは馬車馬に欠くことはない。名犬はいなくとも飼犬に不自由することはない。とびきりの美女はいなくとも、後宮は女であふれています。あなたが人材を好まないだけのことで、人材がいないなどとはとんでもないことです」

「そういうな。私は人材を招いて、よい政治をとりたいとばかり願っているのだから」

「王はそう言われますが、民(たみ)より絹(きぬ)を愛しているように思います。絹の冠をつくらせる場合、お側に仕えている家臣ではなく専門の職人を使うのは、専門職人のほうが上手につくるからです。ところが国を治める場合には、おべっかの上手な、いわゆるおべっか専門の家臣だけを用いています。それで民より絹を愛していると申しあげたわけです」

ここで王斗の言わんとしたことは、

第一に
「人材を登用しようとするなら人材を愛しなさい。人材を好まぬ王のもとには人材は集まらない」ということです。

第二に
「冠をつくらせるなら技術に優れた者を使え」ということで、「情実よりも能力、実力主義に徹するべきだ」ということです。

(出典:井原隆一 人の用い方)

天は人間に必ずなにか世のために役立つ才能を与えてくれています。
この才能をどう見出すか、そして、その人の役立つ点をどう伸ばそうとするのか、という温かい心以外に「人材登用の鉄則」はないという訓戒を含んだ故事のご紹介でした。

面白いことにドラッカーもこの故事に似たような言葉を残しています。
晩年のドラッカーは人材を「無限に成長する資源」と言い、企業における良い人間関係とは
「仲の良さではなく、成果をあげる人間関係である」と指摘しています。

社員の立場に立って考えた時、「自分を無限に成長する資源である」と見て扱ってくれる経営者のもとで働きたいと思わない人は少ないでしょう。

また「情実ではなく、成果である」という言葉も、「実力主義」とほぼ同義です。
ドラッカーは「少々の性格的欠陥、相性による言い合い」などがあったとしても「成果が出る」ことが企業における正しい人間関係であると言います。
企業経営は投下した資源以上の付加価値(成果)をあげることで、はじめて存続できることを考えれば、
組織も「成果」を中心に据えて組み立てることは当然です。
しかし様々な情実的理由により原理原則が適用されないことがあります。
その情実を優先する経営者の判断は、とりもなおさず「成果から遠ざかる」成果としてあらわれてしまうものです。

王道は世にその徳を讃えられ長く賞讃されるものです。
中国の故事とドラッカーに共通項があることを考えるにつけ、経営を進めるうえで大変重要なリーダーシップについても、
どうやら法則がありそうです。

(紺)