「経営は生きた総合芸術 経営者は総合芸術家」

今日は、松下幸之助さんの「経営は芸術である」という言葉をご紹介させていただきます。

筆者がこの言葉に出会ったのは、もう20年も前になるかと思います。当時の筆者は20代でしたが、この言葉の意味を理解できなかったことを記憶しています。
なぜなら企業活動における組織図、請求書、見積書など、どれをとっても、筆者にはすべてが無機質なものに見えていたからです。
しかし時間の経過とともに、この言葉の意味が、自分自身に少しづつですが沁み込んでくるようになりました。
それはやはりマネジメントの経験をさせていただき始めた頃からでした。

先月のメルマガにも書かせていただきましたが、すべての企業活動は「自由意思、個性を持った人間」が営んでいます。
そうである以上、企業活動だけが人間性を度外視して、経済至上主義や完全な合理主義の追求であったり、指揮命令や指示が機械的であってうまくゆくはずがありません。ですから奇異に聞こえるかも知れませんが、「真・善・美」や「創造の自由」に対する感性やモチベーションを経営に持ち込むことは、
合理的でごく当たり前のことであると筆者は思うようになりました。

特に「知識労働者」と言われる人々のマネジメントにおいては「言われた通り動け型、上意下達型」の、性悪説的な管理は不向きです。
知識労働者の生産財は彼らの「頭の中」にあります。これらは流動性の高い現在の企業環境にあって「企業間を持ち運び可能な」生産財であり、
知識労働者が会社を移動する際に一緒に失ってしまうものです。
筆者は20代の頃にドラッカーの書籍などを読んでいたので「現在の管理型マネジメントは早晩淘汰され主流ではなくなるだろう」と思っておりました。
要するに「管理型マネジメントの芸術性は低い」と筆者は考えています。

また経営を別の言葉で喩えるならば「生モノ」であるとも言えそうです。これは料理にも似ています。
旬の食材、料理の技術、器やお店の雰囲気、値段、料理を出すタイミングなど、すべての要素を総合的に判断してお客様は対価を支払う、といったところも似ていますね。翻って企業では、完成したばかりの組織図からは経営者の「ナマの」思想や意気込みなどが伝わってきます。
しかし過去のものを見ても何の興奮もありません。

経営とは「現在ただ今」の、人・モノ・カネ・情報・時間、外部環境や、その他あらゆる現時点における条件を考え抜き、
投下したリソース以上の価値を生み出す行為です。
筆者も「経営は芸術である」という経営の神様の言葉に、いまは共感できる気がします。

以下、松下幸之助さんの言葉もあわせてご紹介させていただきます。

「経営は生きた総合芸術、経営者は総合芸術家」

経営者というものは、私は、広い意味で芸術家やと思うのです。

というのは、経営というものは一種の総合芸術と思うからです。

一枚の白紙に絵を描く、そのできばえいかんで、いい芸術家と評価され永遠に残る。
要するに、白紙の上に価値を創造するわけですわな。
これ、経営と同じです。

むしろ、われわれ経営者というものは、白紙の上に平面的に価値を創造するだけじゃない。

立体というか、四方八方に広がる広い芸術をめざしている。

それだから、生きた芸術、総合的な生きた芸術が経営だと―そういう観点で経営を見なければならんというのが、私のとらえ方です。

そういう目で見ると、経営というものはすばらしいもので、経営者というものはたいへんな仕事をする人なんです。

ところが、なかなか世の中はそう評価してくれませんけどな(笑)。

単なる金儲けとか、合理的な経営をするとか、そんな目からだけ見たらいかん。

結局、人生とは何なのか、人間とは何かというところから出発しなければいけない。

それは、人前では商売人です。
毎度ありがとうございますと言うているけれども、内心では、すこぶる高く自分を評価しているんです。

総合芸術家なんだと。
だから、その評価に値するだけの苦心なり、悩みがある。

これが経営者というものの本来の姿です。

(『松下幸之助・経営の真髄』 PHP研究所)

(紺)