
今年も本当に早いもので、もう師走です。
筆者にとっては今年の振り返りと来年への目標を設定する時期です。毎年恒例で「お籠り」をするのですが、今年は房総半島方面でしっかりと静寂の時間を取り自己反省をします。(しかしながら現時点でだいぶ未達事項が多くすでに反省が始まっています)
年齢や社会的立場があがるにつれて、人は公的な存在としての時間が多くなり、忙しさが増すものです。昔諸先輩から聞いていた「時間の経つことの早さ」を実感する毎日ですが、時間の流れの速さに負けて、それを良しと認めてしまうだけでは夢や志、目標は遠のいてゆくばかりです。
自分自身にとっての「かくあるべし」「あるべき姿」の理想が大きければ大きいほど、実現するためにはそれに見合う大きなエネルギーと耐え忍びの時間が必要になります。
今日は強い自戒を込めつつ、日本を代表する陽明学者、故安岡正篤氏が自らを律するために考案した心中の処方箋である「六中観」をご紹介いたします。
陽明学の有名な言葉に「知行合一」があります。これは「知って行わないのは未だ知らないことと同じである」という思想であり、吉田松陰など明治維新の一部思想的な原動力になった考え方でもあります。
<六中観>
私が大学を出ました大正末期から昭和の初めにかけまして、日本の国情は紛糾し、革命的気運が高まり、やがてテロが横行するようになりましたが、それからさらに一転して満州事変、シナ事変、そして大東亜戦争といったふうに時勢は激流のようになり、ついに敗戦、降伏になっていったのですが、今日の実情を見まするに、それと同じような動乱の過程を激成しつつあることご覧のとおりであります。このまま推移すれば、日本は、おそらくは大正・昭和の歴史よりもさらに悪く、かつ深刻な経験をせねばなるまいと多分に想察せられる運命にあります。これをどうするのかというのが、「立命」であります。どうなるか、これが運命であり、これをどうするかが立命であります。この両者を合わせて俗に「運命」という場合には両方の意味が含まれているわけですが、大正末期から昭和の初めは、非常に危ない、激しい危機、そうした運命の中にあって、立命の点で甚だ誤るところがあったことはいうまでもありません。その渦中に自ら巻き込まれた私としましては、非常に苦心惨澹せざるをえませんでした。
餓えたる者が食を求め、病める者が医薬を求めるように、私には、わが心をいかにするかが必須の問題でした。心の持ち方を誤れば測り知れない事態になりますので、そうした中にあって「六然」は、私にはますます有り難い処方箋でありました。そして、その中から私はいつとはなく、自分に適するもう一つの処方箋を作りまして、それを自ら「六中観」と名づけました。
<忙中有閑>
ただの閑は退屈して精神が散じてしまう。忙中に掴んだ閑こそ本当の閑でありまして、激しい空襲の中でも十分、二十分の短い閑に悠々と一座禅、一提唱ができましたが、こういうのが忙中の閑であります。
<苦中有楽>
苦中楽あり 苦中の楽こそ本当の楽で、楽ばかりでは人を頽廃させるだけです。甘味も苦味の中の甘味が真の甘味であるわけで、これは茶人のよく知るところで、化学者がお茶のタンニンの中にカテキンという甘味を発見しております。人間も甘いだけでは駄目でありまして、一見苦味があるが、さて付き合って見るとなかなか甘い、旨いという人もある。
<死中有活>
「身を棄ててこそ浮かぶ瀬もあれ」であります。
<壺中有天>
これには故事がありまして、『漢書(かんじょ)』方術伝に費長房という者、一時汝南の市役所の役人をしておったのですが、これが市役所の二階から下を見ていると、城壁に露天商人が店を並べている。一老翁が夕方になって店をしまうのを見ていると、その老翁が後ろの城壁に掛けてある壺の中に隠れて消えた。ああいうのが仙人だなと見届けて、翌日待ち構えていて、老翁が店をたたむ時にそこへ行って、「私は昨日、あなたが壺に消えたところを見たがあなたは仙人だろう、是非私も連れて行ってほしい」と強談判に及んだ。では、ということになって、ふと気がつくと非常に景色の好い所へ出た、そこに金殿玉楼があり、その中へ案内されて大いに歓待を受けて帰されたというのであります。有名な宋の『雲笈七籤』にも似たような記事があります。人間はどんな境地にありましても、自分だけの内面世界はつくり得る。いかなる壺中の天を持つかによって人の風致(ふうち:おもむき。あじわい。風韻。風趣)が決まるものです。案外な人が案外な隠し芸を持っている。あるいは文学の造詣があるとか、音楽・芸術に達しているとか、信念・信仰を持っているとか、こうしたことによって意に満たぬ俗生活を救われていることがよくあります。そうした壺中の天はなかなか奥ゆかしいものであります。
<意中有人>
「意中人有り」というと通常は恋人ぐらいにしか思いませんが、それ以外に意中に持つべき人は幾らでもございます。我々の心中に哲人・偉人を崇拝憧憬して、そうした人を懐(いだ)いていることは尊いことであります。また、それは我々に霊感を与える実に神秘的なものであります。私は東洋の医書が好きでありまして『傷寒論』をはじめ、いろいろと読み漁ったものでありますが、この『傷寒論』というのは医学の論語ともいうべきもので、非常に難解であります。徳川時代の有名な漢方医で片倉鶴陵という人がありますが、これがその『傷寒論』と取り組んだが、難しいところが多々あって、この上は著者といわれる漢の張仲景先生に教えてもらわなければ何ともならんとサジを投げた。疲労困憊してうつらうつらしていると、夢ともなく現(うつつ)ともなく立派な長老が現われて、お前の奇特な志に感じて教えてやると言って、その長老はどうも張仲景先生だったようだと本人は言っているが、諄々と教えてくれた。驚いてふと我に返ってみると、もう長老の姿はなかったというのですが、こういうことは真剣に求道している者には大なり小なりよくあることです。どちらかといえば、医者として唯物論者だった片倉鶴陵は、これを契機に、唯物論を捨てたということであります。
我々は、多少志があり何か事を為そうとすれば、意中の人を持たねばなりません。学校の校長先生にしても、そうした人を持たねば立派な教育はできませんし、事業をするにしても銀行から金を借りるのが上手というだけでは何ともなりません。専務には誰、経理部長には誰と、そうした意中の人を持たねば事業もうまくまいりません。いわんや大臣においておやで、内閣でもつくるというからには然るべき人物が彼の帷幕に参じている。彼の意中に満ち満ちているというのでなければ本当の政治はできません。彼方此方から持ち込まれて義理や人情で大臣にせねばならぬ、心にもない人を大臣にするというのでは碌(ろく)な政治はできません。そこへいくと独裁専制政治家は自分に気に入った者を集められるからやりよいけれども、反面、自分がしっかりしていないと、とんだ側近に誤られて没落することにもなるわけです。いずれにしましても「意中人あり」でなければ問題になりません。
私の一つの幸福は意中に大いに人を持っているということ、何かといえば馳せ参じてくれる人々に恵まれていること、これはもちろん私一個の用事でないからそういうことができるのですが、これは大変な幸福であります。 何事によらず人材の用意があるということは大変に大事なことであります。病気をしたらあの医者、死んだらあの人に拝んでもらう、そんな何かにつけて意中にちゃんと人がある。そういうふうになるのが人間の修養であり、学問、活学というものです。 王陽明のいわゆる「身心の学」です。 功利、お飾り、娯楽の学でない、血の通った学、身心を養って我々の経綸に役立てる学であります。
<腹中有書>
今お話ししたような学問のためには腹中に書があるようでないといけません。頭の中の薄っぺらな大脳皮質にちょっぴりと刻み込まれたようなのでは駄目なので、わが腹中に哲学、信念がある。そうなっていないといけません。忙中閑あり、苦中楽あり、死中活あり、壺中天あり、意中人あり、腹中書ありと、この六中観、なかなかに思うに任せませぬが、こうしたことがだいぶ身のためになります。こうした精神の陶冶、生きた学問になりますと、急場の間に合わせようとしても駄目なものでありまして、平素から備えておかないといけません。 私は忙しいためにやむをえず深夜か早朝に勉強することが多いのですが、一仕事を終えて夜がほのぼのと明け始める時にお茶をたてて頂くのは何とも言えぬ好いものです。そんな時のこと、夜がほのぼのと白んで物のあやめが次第に分かってくるのを見ているうちに、ふと気がついた。暁は「さとる」とも訓ずる。悟るというのは心の闇が白んでくることだが、これに暁という字を充てた。何ともこれは好い字だと気がつきました。
何だか私もこの歳になってようやく物が分かってきたような気がするので、やっと人生の暁に達したのかなと、こんなことを思いながら茶をすすっていて、これまた、ふと気がついたことがある。了という字も「さとる」と読む。弘法大師の名高い山林独坐の詩に、「性心雲水倶了々」とありますが、あの了という字であります。了はさとるのほかにまた終わるであります。人間がどうやら、成る程と悟る頃には人生が了(おわ)る。そういうふうに人生はできている。そろそろ俺も終わりが来たかと思う。それならばもう少し迷ったほうがよさそうである、と苦笑いをしたことでありますが、とにかく学ばぬといかん。ということだけは確かであります。「学ばぬといかん」、これは堅苦しくしかめつらしい教訓ではなく、お互い病気をしてはいかんと、ごく当たり前に言うのと同じ感じの「学ばぬといかん」であります。
この頃つくづくと思いますのに、今日の日本は、ジャーナリズムもマスコミもこれくらい揃っており、また、大学も八百以上もあるのに、本当の意味の学問、教育がない。だから、そうしたところで育った役人や政治家、大事な立場にあるそうした人々に、何が最も大事かが分かった人、六中観のできた人、身心の活学の人が少ない。日本はそうした人物が排出しないことにはこの難境を乗り切れません。
(出典:『運命を創る』安岡正篤 プレジデント社 (1985/11)より抜粋)
だいぶ古い書籍でもありますので知らない方も多いかも知れませんが筆者にとっては時折読み返す「腹中の書」の一冊です。実践に裏打ちされた言葉の重みがあり、現代の経営にも役立つ内容であると考えご紹介させていただいた次第です。
この六中観のような「自己の内的空間を拡げる鍛錬」は、忙しいビジネスパーソンにとって大変重要な意味を持つものと考えます。なぜなら現代生活は特に「放電」にあたる行為がほとんどで、なかなか「充電」の大切さや方法を教えてくれるところがないからです。人間も電池同様、放電だけでは早晩エネルギーが枯渇します。電池を人間に置き換えれば、その枯渇した状態でビジネスに追われているのが現代人の多くの姿であり、筆者もその一人です。
「忙しい」とは「心を亡くす」と書きますが、充電のない放電により、心を亡くしたままでは、仕事は「反射的」となり、質的に劣化してゆきます。「反射的な仕事」の対極には「創造的な仕事」があります。
創造性の中には「考える力」「未来を構想する力」が内包されています。この「考える」という行為は非常に大きなエネルギーを必要とするものであり、考えるエネルギーが織り込まれた仕事というものは、それに要した時間がたとえ「考えない・反射的な」仕事と同じ1時間であったとしても、中長期的には成果に大きな差がつくものです。喩えを挙げるならば、たった一人の頭脳により「考え練られた」ひとつの発明によって新たな産業が勃興するようなものでしょうか。
このように外的にあらわれた仕事の大きさとは、内的なエネルギーの氷山の一部です。私たちは日々に時間・空間・気力・知力・体力などの限られた資源(リソース)をどうにか工夫し・捻出し・集中し・最大の成果をあげるべく努力していかなければなりません。
しかしながらそれ以上に内的自己、内的エネルギーを充電していく努力が重要であり、それに成功した人が結果的に大きな仕事を残していることを忘れてはならないと思います。効率や合理性も大変重要ですが、それらのスキルの中心軸にある「何のため」に答える「仕事の哲学」が最も大切です。
「外的な結果はすべて内的自己のあらわれである」という厳しい自己責任からは何人も逃がれられません。筆者も常に外側にのみとらわれることなく「自己の内的空間を拡げる鍛錬」を継続してまいります。
紺