
今日は経営理念について書いてみたいと思います。
経営理念は「その企業の存在意義や使命をあらわしたものである」などと説明されます。私たちもよく耳にする言葉ではありますが、実際にどんな意味があり、どんな効果があるものなのでしょうか。
<各理念のヒエラルキー>
企業の理念も経営理念以外に、企業理念、行動指針などに大別されます。実際決まりがあるわけではないので、これ以外にもいろいろな定義ができると思いますが、以下のように区分される場合がありますのでご紹介いたします。
企業理念 (ビジョン)
「我が社は社会に対してどういうビジョンを持っているか」について言語化したもの。フィロソフィーやミッション、設立趣意書や社是、社訓がこれに相当します。
経営理念 (目標)
企業理念を、事業ドメインにおいて経営レベルに落とし込んだものです。企業理念よりさらに具体的な指針です。(事業ドメイン:組織が経営活動を行う基本的な事業展開領域のこと)
行動指針 (方針)
経営理念に沿って、社長から新入社員まで全てのスタッフが行動する際の指針。ミッションステートメントがこれに相当します。(ミッションステートメント:企業理念や経営理念をより具体化し、実際の行動に資する指針・方針として明文化したもの)
ご紹介しておいて何ですが、筆者はあまりこれらの定義にはこだわらなくて良いと考えています。
なぜなら筆者は、経営理念とは「その企業の規模や様々な状況におうじて、経営者と社員がこれらの理念を共有し企業活動を行った結果、理念にもとづく成果があらわれればそれが正しい経営理念である」と考えているからです。
要するに「成果に貢献してはじめて存在する意味があるのが経営理念」であると考えています。
筆者が聞き及んだ範囲ではありますが、経営理念は「仏つくって魂入らず」のものも多く、企業によっては「経営理念を制定したはいいが、会議室の壁掛けになっている」という企業も少なからずあるようです。やはり経営理念は目的が大事であり、お題目ではなく、実現されてこそ意味があるものです。
<経営理念は企業の憲法>
経営理念は企業における憲法と言える存在です。憲法を英語で調べると「Constitution」と出ます。この「Constitution」には「気質」「体質」などという意味もあり、基本法であると同時に、その法人(国)の精神をあらわすものでもあります。
憲法は「Constitution(体質)」であるがゆえに、その企業規模、社会的影響力、構成員の成熟度など、内外の環境変化による使命の変化などにともなって、必要に応じて改定されるべきものでもあります。すなわち普遍的な精神を維持しつつも、時代的制約や環境におうじて現実的な改定を行い、制度疲労を防ぐことで永続的な発展の理念を維持することが可能になります。
トヨタは紡績の企業でしたが、後に自動車の企業に変貌しました。その時に経営理念の変更を行ったかどうかは定かではありませんが、たとえ明文化されていなくとも、実質的な企業理念、経営理念は間違いなく変化しています。
また、企業は経営理念で規定された使命(ミッション)以上に発展することはできません。
この意味においても、段階に応じた「経営理念の発展的な変更」が必要であることがわかります。
<経営理念はなぜ必要なのか>
また経営理念とは「なぜその企業が発展しなければならないのか?」という問いに対する企業からの答えでもあります。経営理念が、その企業の発展の正当性をあらわしているとも言えるもので、これが社内外に対して、その企業の存在の大義名分、錦の御旗になっているのです。
我が社の存在理由は何か?
我が社は何のために存在するのか?
我が社の発展はどのように社会貢献につながるのか?
我が社はなぜ発展しなければならないのか?
経営理念とはこれらの問いへの回答でもあります。経営理念を通じて、社員数・年商などの企業目標の奥にある「存在意義」を宣言しているということです。
<経営理念による効果>
経営者と社員が経営理念を理解し共有することで、そこに企業発展への正当性があらわれます。その企業で働く人々が、自らの企業活動に正当性を持ちえた時に、力強い行動が可能になります。使命感が湧き、目標・数値に大義名分が出てくるのです。何のための数値目標なのかが明確になり、生きた数値として経営目標を共有することができるようになります。
その結果、社員のモチベーションが向上し、社員が働く上での生きがいにつながります。生きがいを持って働く社員は必ずお客様に良いサービスを提供しようとします。経営理念にはこういった無形の価値を生む効果があります。
また社員数が増え、経営者が直接社員に会って話すことが困難になった段階でも、経営理念は大きな力を発揮します。なぜなら経営理念は、日々の仕事をするにあたり社員の寄って立つところ、迷ったらこれを頼りに判断すれば良いという存在でもあるからです。経営者の信条、我が社の方針、我が社が何をもっとも価値あるものとしているかが明文化されているため、優先順位の判断をするにあたり、社員は経営理念に立ち返り判断することができます。物理的にも心理的にも経営者と社員の距離が遠くなってしまう巨大企業になった時には、経営理念は経営者に代わって社員に指針を与えてくれる存在となります。
<経営理念を考えよ>
では実際、自らの企業ではどうでしょうか?以下の問いに経営者自身が答えきるのはなかなか難しいものがあります。常日頃からこの問いを考え考え、考え続けることが、経営者にとってとても大事なことになります。迂遠にも見える行為ですが、筆者はこれが王道経営であると考えています。
1.なぜ社員が10人、50人、100人、200人から1000人の企業にならなければいけないのか?
2.なぜ年商が1億、5億、10億、1000億円を突破しなければならないのか?
3.我が社は何のためにあるのか?
4.我が社の発展は何につながるのか?何が発展の目的なのか?
<経営理念を練るときの注意点>
以下は経営理念を制定する時の注意点です。これを蔑にしてしまうと、経営理念は「お題目」となってしまいます。
1.経営理念の策定には時間をかけて考えを煮詰めなければならない
2.経営理念は自画自賛であってはならない
3.経営理念のなかに「私欲、虚栄心、嘘、うぬぼれ』が入っていてはならない
社員のモチベーションのもとには「自分たちは正しく価値あることを行っているのだ」という思いがあり、その正しさの根拠となるのが経営理念です。ですから経営者は「我が社はどのような社会貢献のために事業をしているのか」をよくよく考え抜かなくてはなりません。
人は潜在的に「価値あるもののために働きたい」という欲求を持っています。したがって経営理念はその中に「理想や夢」が入っていなければなりません。「社会の理想実現の一端を担っている」ことを盛り込まなければ、社内外の人々から企業発展のコンセンサスを得ることはできません。そして経営理念は永続的に発展していくための思想をその中に含んだものでなければなりません。
<経営理念は美しくなければならない>
また経営理念の良し悪しのチェックポイントとして筆者は「美しさ」も入れておきたいと思います。その経営理念は美しいかという観点です。その経営理念が描く理想は美しいか、人々の心を魅了する美しさはあるかという観点です。「悪魔は芸術を解さない」という言葉がありますが、美しさという基準が入っていると、その逆の醜さが浮き彫りになります。自我我欲、見栄や虚栄心は美しくありません。奉仕や謙譲の心、社会正義を実現しようとする勇気ある心、真理を探究しようとする心、積極性や建設的な心は美しさを感じさせます。
<経営理念を立て、繰り返し社員に述べ伝える>
経営理念は社員がいつでも読めるようにしておくことではじめて理想が共有され、時間とともに強固な企業文化が醸成されてゆきます。先に述べましたが、いくら経営理念を制定しても「仏つくって魂入らず」では実際の成果にはつながりません。経営理念は制定しただけでは、生命を得て経営者の理想や夢、指針を代弁してくれる存在とはなりません。
「ではどうすれば経営理念に魂を入れられるのか」ということですが、これについては「おそらく妙案や近道はない」と筆者は思っています。やはり「繰り返し、事あるごとに、例を引いて、社員に訴え続ける」ことと「経営者自身が率先垂範、行動で示す」しかありません。
子育ての喩えになりますが「子は親の言うことは聞かない。しかし親のしたことは真似をする」というものがあります。
筆者がこの言葉を知った頃、ちょうど子育て真っ最中でもあり「なるほど」と大きく納得したことを覚えています。一番わかりやすかったのが勉強です。筆者が「勉強しなさい」と言っても子供は勉強をしないのですが、仕事から帰宅し、疲れている中でも気持ちを奮い立たせて読書をしている姿を見ると、おのずと子供も勉強を尊いものであると感じるようになることを実体験したことがあります。
経営理念について書いてみましたが、いつもながら「耳に痛いが間違いのない王道経営の話」となりました。日々精進、生涯精進を誓い、本日のブログを終わりにしたいと思います。
感謝
紺